カルテット【ドラマ】最終回「死と乙女」とパセリの意味は?

カルテット

ドラマ『カルテット』がついに最終回。…とても寂しいです。ラスト、仲睦まじい位4人の様子を見ることができて嬉しかったです。でも、コンサート冒頭で「死と乙女」を演奏した真紀の真意とは・・・?ただのハッピーエンドではないと思わせるシーンがいくつかありましたね!

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コンサート冒頭「死と乙女」を選んだ意味とは?

世間が押し付けてきたレッテルを逆手に取って、自分たちの夢を大胆に実現させたカルテットドーナツホール。

憧れのコンサートホールでの演奏前の控室。

「なぜこの曲を1曲目に選んだの?聴きに来た人は誤解するかもよ?」

というすずめに対し、

「こぼれちゃったのかな。内緒だよ」言葉少なに答えたマキ。

それですずめには伝わった様子。

 

わたしにはその理由はわかりませんでした。

曲のタイトルが「死と乙女」ということで、やっぱり真紀は義父の死になんらかの形で関わっていたの?という思いが浮かびました。

そしてそのことをすずめと二人だけの秘密。グレーに留めたのか?

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真紀は深刻な病魔に侵されている?

でも、ネットで調べてみたところ、この謎に関して深い考察や気付きが沢山シェアされていました。

まず、この「死と乙女」という曲は、若くして死を迎えることになった少女と死神との対話を描いたものとのこと。ちなみにシューベルトの曲、詩はマティアス・クラウディウスという人だそうです。

そして作曲者の真意は、死は恐怖ではなく、死=永遠の平安を意味するものなんだそうです。

歌詞(ドイツ語)・日本語訳(意訳)

Das Madchen:

Voruber! ach,voruber!
Geh,wilder Knochenmann!
Ich bin noch jung,geh,Lieber!
Und ruhre mich nicht an.

乙女:
あっちへ行け!残酷な死神よ
私はまだ若い 行ってしまえ!
私にさわらないで

Der Tod:

Gib deine Hand,du schon und zart Gebild,
Bin Freund und komme nicht zu strafen.
Sei guten Muts! Ich bin nicht wild,
Sollst sanft in meinen Armen schlafen.

死神:
手を取るのだ、美しく可憐な少女よ
私はお前の友 罰しに来たのではない
心穏やかに 私は野蛮ではない
私の腕の中で安らかに眠れ

引用元:http://www.worldfolksong.com/classical/schubert/death-maiden.html

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パセリの花言葉

さらに別荘での唐揚げの夕食のシーン。

添え物のパセリにまつわる家森のこだわりが披露されました。第1話に戻るような唐揚げトークにほっこりし、家森の小うるさいのもこれで見納めと思うと微笑ましいな・・・。

そんな風に見ていました。

でもパセリには「死の前兆」という花言葉があるんだそうです。

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真紀の体の変化

最終回、真紀には外見の様子の変化が3つありました。

1つ、明らかに増えた白髪

2つ、再会の時、真紀の手を握ったすずめが顔色を変えた。

3つ、コンサートの前、真紀の頬の下にアザができていた。

死=永遠の平安、パセリ(死の前兆)、真紀の体の不安(なんらかの病?)

このように書き出してみると、真紀の体になにか深刻な事態が生じているというのが一番しっくりくるように思えます。

すずめは再会の時にそれに気づいていた。

だから、「死と乙女」という選曲の理由を尋ねずにはいられなかったのかも。

真紀も自分の病状を自覚していた。

そうだとするとラストで四人が車中で楽しげに歌い浜辺を歩く様子はまた色合いが変わってきます。

胸をしめつけられるような切ないシーンにみえてくるわけです。

真相ははっきりしないまま、グレーのまま。

 

でも、それでいいと思います。

あの4人のことが、いっそう愛おしく思えてきます。

 

自分が煙かどうか、価値のあるなしは他人がきめること。

内側から湧きあがるものを存分に表現し、誰かたった一人にでも届けばそれだけでいい。

 

ずっと心に残る余韻を残して去って行ったカルテットドーナツホール。

 

このドラマの視聴者でいられたことに感謝です。


以上、ドラマ『カルテット』最終回、「死と乙女」選曲の謎について書きました。

最後までお読みいただきありがとうございました。